そったく(啐啄)

自分に自信がなく、他人に合わせる事ばかりだった私が、どうやって自信と五感を取り戻して、会社を辞め自分らしい生き方を探しているのか、そんな日々を綴ります。

気付き

わかりあうということについて、今日気付いた事。

2015/03/17

ひと、もの、全てのものが本当はひとつなのであれば、
もともと当然のごとくわかり合っていたはずである。

わかりあいたいとか、わかってほしいとかわかってあげたいとか
そういう欲求はだから当然のごとくあって、
それがゆえにひとはぶつかったり、必死で説明しようとしたり、
人の話をきく努力をするんじゃないかとおもう。

わかりあいたいという欲求は
人が人とつながろうとする原動力のひとつになり、
人と人を成長させる。

そうして、人はわかり合いたいと願い、
わかり合えない事に何度も気付いて、
それを繰り返しているうちに絶望して、
わかってもらうこと、わかること、
わかり合う事を諦めた方が楽だ、大事なんだって思ったりする。

だけど、多分、それでも心からは消せないんじゃないか。
わかってほしいとか、わかりたいという気持ちは。
それは多分本能から来る欲求で。

ひとは、わかり合いたいと願って努力して
わかり合えない事に気付く度に苦しんで、
ときに絶望したのような気持ちになるけど

わかりあいたいという欲求と、努力と
願うほど繰り返し襲う、わかり合えない苦しみを何度でも受け入れていくこと。
それは楽じゃないかもしれないけど、何度でも受け入れる度に
優しくなり、強くなれるんじゃないかと思う。

そうして、少しずつわかり合うんじゃないかと思う。
今の私達は完全な人間じゃないから多分完全にはわかり合えない。
だからいつまでもわかり合えない部分に焦点を当てると苦しいままだろう。
だけど、わかり合えている部分になるべく光を照らすようにすればいい。

わかったり、わかってもらうことを期待しない事は楽だ。
努力し続ける限り何度もわかり合えない事に苦しむだろう
だけどその苦しみすらも飲み込んで、すすみ続けた所に

何かがある気がしました。

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