そったく(啐啄)

自分に自信がなく、他人に合わせる事ばかりだった私が、どうやって自信と五感を取り戻して、会社を辞め自分らしい生き方を探しているのか、そんな日々を綴ります。

気付き

正論はするどい武器だ。それよりも誠実だけど楽しく話す方法を考えたい

2015/03/17

先日私は正論を武器のように振りかざしてしまった。

思えばずっと、そうだったのかもしれない。

昨日ふと、ずっと昔に本で読んで胸に刺さった事を思い出した。
「正論は人を傷つける。正しすぎて相手が反論できないからだ。人はみんなそんなに強くない」

正しいなんて、時代によって変わる。常識によっても変わる。価値観によっても変わる。
それなのに、その変わるものに根拠を求め、

「これが正しい。あなたは間違っている」

と言う事に何の意味があったんだろうか。

だけど、私はそれを繰り返してきたんじゃないだろうか。

その一方でウソをつく事にも躊躇してしまう。多分怖い。

昔の私は自分はあまりにもウソをついてきた。
人を傷つけないウソや、むしろ目の前の人を喜ばせる為のウソだったら良いと思っていたんだ。
それで波風立たないなら。
ギリギリまでウソをついてきた。
でも、ウソをつき続けているうちに、自分にとって何が本当で何がウソかわからなくなってきたんだ。
今もその後遺症は残っていて、何が本当かを思い出そうともがいている。

ついでにいうと結局そのウソは波風を立てない為と言いながら
自分の為のウソだったんだ。
周りの人に嫌われたくないから、媚びていたんだと思う。

じゃあどうすればいいんだろう。

どうすれば、ウソで自分を見失わないままで楽しくいられるのか。

正しいかどうかより楽しいかどうかを大切にする事かもしれない

「正しさ」などというものが存在するとして、仮にその「正しさ争い」に「勝った」として、
満足感より不毛な感じが残る。それに正しさ争いは空気がしんどい。

それよりも、楽しい方が良いと思う。笑っていられる方が好き。
正しいかどうか議論する事に、不毛さを感じることがよくある。

よくあるのは過去に「言った言わない」の議論。

「前そういったやん」「言ってないわ」
そう言う議論を何度繰り返してきただろうか。

だけど、過去の事などいくら議論したってどちらが正しいか証明できるはずがない
(録音テープでもあれば別ですけど!)

それなのに、なぜお互いに自分が正しいと主張してしまうんだろう。
引きたくないと感じるんだろう。

私もこの不毛さに気付いて、こういう議論になったらストップしようと心がけるけど、
それでも相手に「自分が正しい」と主張されっぱなしだと腹がたつ自分に、最近も出くわしてしまった。

楽しい方が良いから、
そういう議論が楽しくないなら「笑いに変えられたらいいよね」と思う。

まだそれはできていないけど、そういう風に少しずつできるようになっていきたい。

それから、「常識ではこうでしょ」「いやそんなことない」とか
「みんなこういうよ」「そんなことない」と言うような議論も不毛だ。

だって常識に従わなければならないというルールなんてないし、
味方が多い方が正しいなんていうルールもない。

それよりも、一緒に楽しく生きられる方法を毎回考えようよ。

価値観が違う人同士で正しさを争うって言う事は、ほんとうは全てが不毛なのかもしれない。

実際すべてのものごとは多分「どっちだっていい」んだ。

どんな出来事にだって人にだっていい面もあり、悪い面もある。
どこに光を照らすかだ。

だから、こっちの方が正しい正しくないという事はなくて、
それよりも多分楽しい方に光を照らす事でよりいろんな事が楽しめるようになるんだと思う。

「正しい正しくない基準より、楽しい楽しくない基準の方がいいよね」という考え方の方が「正しい」と主張したくなる自分もいる。

でも「正しい正しくない基準をやめて、楽しい楽しくない基準にしようよ」と相手に言いたくて、
「楽しい楽しくない基準の方が正しい」って相手に認めさせたいと思っている自分に気付いた事がある。

多分まだ「自分が正しい」と言う事を証明したい自分から抜けきれていないんだろう。

楽しい楽しくない基準で言うとしたら、
「正しい正しくない基準より、楽しい楽しくない基準の方が楽しいよね」って言うべきなんだ。

でも正しい正しくない基準を信じている人には
基準自体が違うんだからそもそもこの会話自体成り立たない。

となると、楽しい楽しくない基準で生きる為にはどうしたらいいんだろう。
どんなことも楽しくするスキルを磨くことなんだろうか。

そんなことをふと思った。

ウソではなくて祈り

例えば、目の前ににくたらしい人がいたとして、でもその人に
「可愛いね」「優しいね」と言ってみる事。

ウソではなく祈り。願い。
祈りを込めて、伝える。

そうしたらその人はきっと変わってくる、本当になる。
何より楽しい。

心に思っていない言葉を言う事は確かに自分を見失うリスクがあるかもしれない。
だけど、自分の心持ちや相手の心持ちを変えるのに本当に効果が高いのも事実。

きっと、リスクというか副作用があるのもわかった上で、必要なときだけ使ったら良いんだ、
と書いていて気付いた。

世の中の全ては白と黒でわけられるもんじゃないんだから。

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